次のページを託され飛び立った祈りたち

あの時の小さな私を救えるのは私しかいない。
今も尚、あの時の自分をどうやったら救えるか考える。

幼かった私へ。

あの時、してほしかったことは何?

umikyou.hatenablog.com

幼いころ「空想したことは、真逆の現実を手繰り寄せる」というジンクスを胸の中に抱えていた。例えば、珍しく家族3人でレストランに出かけた日があった。私は空想した。テーブルの上に大好きなハンバーグ、隣にはメロンソーダがぱちぱちとを泡をはずませていて、父や母がいて、ただ幸せな陽がさす光景があった。

現実には、レストランの中でも家の中と同じように、大きな声で喧嘩を始める父や母がいた。物音を立てないように味のしないハンバーグを咀嚼する。近くのテーブルには、年のちかい子供を連れた父親や母親たちが、こちらに視線を向けて何かを話していた。幼い私にとって「名前」や「顔」の知らない人たちはそれだけで恐怖の対象だった。

当時、そんな視線に繰り返し晒され続けていた時期があった。言葉にならなかった思いは、耐えられないほどの寂しさと、誰でもいいから抱きしめてほしかった。と、大人になって初めて、当時の私に言葉を添えることができたような気がしている。古い記憶の中に置き去りにした子供のころの記憶を、いまこの記事を書くことで抱きしめることになるのなら。

こんなことになったら嬉しいな、そんな空想をする。子供のころ、私は楽観的なところがあったのかもしれない。学校生活や、両親との関係であったり、私が想像する幸せな光景が頭の中に鮮明にあって、その空想は私を優しく受け入れた。けれど、当たり前のように空想は現実から一番遠い場所にあって、当たり前のように空想のまま消えていった。

いつのまにか、私が空想したことは真逆の現実を手繰り寄せるようなジンクスを信じるようになった。心に影を落とすような光景を想像する、現実は逆転して幸せな光景が広がっているんじゃないか。子供のころ、そんなことを真剣に考えていた。

描いた日々の中に笑っている私はいなかったし、10代後半は精神的に疲れ果て気が弱いなりに少し荒れた。時が流れて社会人になったいまも、体調の面で私の時間だけが止まったままのように感じる瞬間がある。けれど、私が忘れようとしてきた過去の痛みを否定することは止めにした。と自己暗示。思い出したあれこれの一つ一つに輪郭を与えてあげることで、昔の私に代わって水たまりの跡に花を添えたい。

「水たまりの跡」が、晴れ間をのぞかせた比喩なのか、雨が降る暗示なのか、文脈のない言葉の世界では、誰にも分からないことがある。

『晴れを待ちわびて』素敵な名前だと思った。何かを待ちわびることは祈りですね。不安や失望、悲しみや後悔、祈りながら肩を濡らす海京さんの隣で、静かに傘を広げてくれる何かが「晴れ」の比喩なのかもしないと連想した。祈りの言葉が、願いや悲しみの吐露であったとしても、『晴れを待ちわびて』飛び立った言葉たちだからこそ、続く言葉の先は、
誰にも想像することができない場所へ、羽ばたいていったのだと思った。