まるで別の世界の住人

けっきょく、寒すぎてエントランスの開放スペースは利用しなくなった。自分から体調を壊しにでかけているような気がしてきた。かといって、行く場所なんてどこにもない。終日、図書館や共有スペースの利用を前提にした復職のプランはコロナ禍や近隣のロケーションから破綻していることが分かったし、産業医はその実態を知らないことも分かった。リビングに一脚椅子を置いて、そこで本を読むようになった。身を置く場所がソファーから椅子に変わっただけ。生真面目に提示されたプランを実行できなかった自分に落ち込んでいる。

日中、気分がひどく沈んでいた。いま読んでいる小説の登場人物が全員嫌いだった。外はよく晴れていた。陽の光を浴びれば、気持ちも軽くなるかもしれない。食べ物がないことに気づいてスーパーに出かける。道で小さな子供連れの女性や、スーツ姿の男性や女性たちとすれ違う。だんだん泣きそうになる。なにひとつだって上手くいかない。

帰宅して陽が差し込んだ誰もいない部屋は、恐ろしく世界から切り離された場所のように見えた。Youtubeでリラックス用のBGMをかける。なにかもうるさ過ぎて、なにもかも心に留めておきたくなかった。パソコンを消して、ソファーに倒れた。

目が覚めると部屋は真っ暗になっていて、カーテンの向こう側は何も見えなくなっていた。冷え切った部屋で体が震えている。復職に向けた管理表にはガタガタに崩れた記録が残った。いまは夜の23時を過ぎたあたりで、本当は睡眠薬を飲んで眠る時間だけど、挽回できない一日はそのまま挽回できない一日として消化することにした。冷蔵庫に冷やしたままだったワインを飲みながらこの記事を書いている。

関東にいると毎日のように人身事故で電車が止まる。辺ぴな田舎から出てきた私にとっては、かなり衝撃的だった。けれど、だんだん馴れていく。取引先との会議で移動が必要な日に人身事故が重なったり、仕事に疲れきって帰る時間なんかに遭遇すると、迷惑がったりした。名前のない人たちが名前のない人たちののまま、すれ違うことに馴れていった。

組織とか共同体とかから外れて、収入も断たれた途端に、途方もないほどの不安と孤独が襲ってくることを知った。「Buffalo'66」という映画で、主人公が「もう生きていけない」とトイレで一人泣くシーンがある。絶望的なのは「死にたい」じゃなく、「生きていけない」のだと、私のなかでずっと反響している。