どこにでもあって、どこにもない

求めるものは物語や理由で埋め尽くされていて、その良し悪しに関わらずそれを求めずにはいられない。因果関係を作り出しては、勝手に不快になったり幸福になったりしている。

数年前、もし全自動の車ができたとしても、誰も乗りたがらないだろうという話をどこかで読んだ。ある程度のスピードで走行中に道路に飛び出した人間がいたとして、運転手を守るために進路を維持して人間を轢いてしまうか、飛び出した人間を守るために車線を外れて何処かに衝突するかの2択を迫られたとき、いずれにしても誰かを死なせたり、自分が死んでしまうかもしれないものに乗りたがるような人はいないだろう、というのが理由だった。ここで語られているのはAIが今後直面するであろう人間にも答えが出せない倫理観だったけれど、結果だけを考えると、人が運転していようが、AIが制御していようが、シチュエーションが同じなら結果も同じでそれが自分のせいか、誰かのせいかでしかないことに気付く。

心療内科に定期通院に行った際、主治医が急遽不在とのことで別の医師に診てもらうことになった。これまでの経緯や理由を改めて説明することになりひどく疲れた。物語を愛する一方で、花言葉のようにいちいち理由を与えてみたり、それを何かと結びつけてみないことには、知覚してもらえないように世界はできていると塞ぎ込む。