「ハイチーズ」って言ったはずなのに

風邪を引いてしまった。窓を開けて空気の入換えをしていると、窓の外から郵便配達の音や、小さな子供のはしゃぐ声が聞こえてきた。咳がひどく横になって目蓋を閉じる。やってこないと知っているものを待ちつづけるのはやっぱり難しい。

坂崎乙郎のエッセイでバレエの跳躍は高く跳ぶためではなく、より深く落ちるためだと読んだ。そのあとにつづく話を思い出せないまま、そのフレーズだけが胸に残りつづけている。跳躍が意志だとすると、落下は本能になるのか。もしそうなら、演者は意志と本能をたった1つの跳躍で使い分けて表現しているのかな。

手間をかけた料理を見るとそこには意志があって、意志には願いや祈りを思ったりした。それは人それぞれに信じ方や祈り方があるようで、名画や名曲と言われるものに注がれた息吹にある日の営みのなかで出会いつづけているように思えた。

夕暮れ時、西日が部屋の壁に影を作った。それが綺麗で誰に見せるでもなく写真を撮る。写真や絵画にある水平線の太陽は、夕日か、朝日か、鑑賞する場所や時間によって受け止め方が違うらしい。今年も両親のお墓参りには行けそうにない。うつろなときに思い出す情景は、いつもそんな類の景色だった。

「ハイチーズ」って言われて何故だか
愛してるって言われた気がした
「ハイチーズ」って言ったはずなのに
愛してるって言えた気がした

『エリザベス』 - MOROHA

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※2023.7.6 追記 とびまるさんの素敵な文章のなかで本記事を引用していただいた。
 ありがとうございました。

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