極まった夜が予兆するもの

普段ほとんど夢を覚えていない。寝ているときに見る夢のほう。人は眠っているとき、レム睡眠(浅い眠り)とノンレム睡眠(深い眠り)を90分周期で繰り返すらしい。レム睡眠で夢を見て、ノンレム睡眠ですべてを忘れてしまうそうだ。休職したことと睡眠薬を飲むようになって、不規則だった睡眠時間は、決まった時間に寝て、決まった時間に起きるという生活リズムを、少しずつ作れるようになってきた。

先日、珍しく夢を見た。夢の中、今では疎遠となった遠い地で暮らす親戚たちがいた。現実には既に亡くなっている祖父が夢の中でも亡くなったらしい。親戚一同が公民館のような場所に集まっていた。喪服に着替え、私も公民館を訪れる。親戚たちの中、叔母の顔は憔悴しきっているように見えて、思わず声をかける。

私の生まれ育った地方では、亡くなった方がでると通夜、葬儀、荼毘に付すまでの間、線香を必ず絶やさないという風習がある。寝ずの番と言われるもので、親族の誰かが必ず交代で棺がある部屋に泊まり込み、線香を焚きつづける。私が幼いころ、この寝ずの番の時間は、久しぶりに顔を合わせた叔父たち、従兄たちの酒盛り会場になっていた。祭壇にグラスを置いてお酒を注ぎ、故人と一緒にお酒を飲む。しんみりとした時間を1分、1秒と刻んでいくよりも、きっとその方が故人も喜んでいるとみんなが口を揃えた。一人酔いつぶれ、二人酔いつぶれ、残った一人がまた故人と向き合ってお酒を飲む。棺には故人の顔を拝めるように開け閉めができる小窓がついていて、小窓の上には紫色の布が掛けられていた。

叔母の話を聞くと叔父たちと交代し、叔母が寝ずの番をしている夜、少しの時間でも棺から目を離すと小窓に掛けられた紫の布がずれているのだという。ある時は皺がより、ある時は棺からずれ落ちようとしていたそうだ。建物内は換気はされていても、風が吹くような隙間はどこにもないと言う。叔父たちは酒疲れで今晩は役に立たない。叔母は目に見えて怖がっていた。今晩は私が公民館に泊まり、寝ずの番をすることした。私は幼いころお婆ちゃん子だったし、お爺ちゃん子だった。どちらかに叱られると、どちらかに泣きついた。怖いという感覚はなかったし、もし会えるのならあってみたかった。夜が深まって親戚一同が各々帰っていき、私と故人の二人だけの空間になった。菊や百合の香りを鼻孔に感じながら、線香を焚いた。

気付くと私は畳の上で眠っていた。お腹の上に誰かが乗っている重みを感じる。目蓋に力が入らない。「ほんとに出た!」という衝撃だけだった。上半身を起こして目蓋を開ける。お腹の上に乗っていたのは亡くなった父だった。父は機嫌がいいとき、目蓋を薄く開いて笑う癖があった。その顔で私を見つめていた。父は優しく「なんで忘れたんや」と、一言だけ言ったように聞こえた。その声が聞こえた途端、目が覚めた。掛け布団を払い、両手も夢の中と同じ位置にあった。お腹の上には父が乗っていた余韻が残っている。

あまりに鮮明な夢だったので、枕元のスマホにメモを取った。深夜3:58。もう一度寝ようとベットに沈んで毛布を被る。頭の中では父の言葉が泳ぎつづけていた。思考が意味を探ろうとしている。しばらくの間、目蓋をつぶる。

.......寝れるかい!ってなって早起きした日の出来事。

そうだね、心配かけたね。朝はもうすぐそこだったね。