病める時も健やかなる時も

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映画「心と体と」公式サイト

昨日の夜、映画「心と体と」を視聴した。

食肉処理場を舞台に、産休に入った検査官の代理職員として主人公の女性マーリアが赴任する。彼女は人とのコミュニケーションが苦手で、冒頭から孤立していく。周囲も気を使い、彼女と同じ空間を共有するだけで、どこか緊張感が漂うようになる。雪深い森の中、2頭の鹿。雌鹿と雄鹿の2頭を除いてほかに動物はいない。雪がしんしんと降る静かな世界、流れる小川に肥爪を浸し、水に口を付ける。物語上で明かされるまで、たびたび挿入される2頭の鹿は何の象徴なのだろうと想像しながら、その美しさに見とれた。

食肉処理場である以上、動物たちは淡々と処理されていく。鮮血のあとに漂う余韻だけが動物たちの痕跡を残し、それはモップによって綺麗に洗い流されていく。床や壁に散った血痕、孤立する一人と多数、血の通う描写はもう一人の男性主人公に集約されていく。

視聴し終わったあと、ラブロマンスだと知った。「心と体と」に続く言葉は何だろう。原題は「Testről és lélekről」。Google翻訳いわく「体と魂について」。物語として彼女を救ったのは他者との繋がりだった。うまく届かない言葉や視線が、ありのまま彼女、彼の間で流れつづけ、次第にそれが居心地の良さにかわっていった。

きょうは定期的な心療内科への通院日だった。問診を終えて外に出る。寒いなーって呟いたはずの小声は吐息だけだった。映画や小説に出てくる登場人物たちは、取り戻すのか、獲得するのか、失うのか、価値観や目的は作品によって共通するものもあれば、玉虫色の光を見せることもある。初めて触れる作品で、予定調和のように起こる様式美のような悲劇でも、毎回きっと過程や心理描写の行間に埋もれた声にならない声に共感して泣いたり、誰かにとって感動的なシーンを理解できなかったりするのだと思う。形のない大切なものの面影を探すように、作品を通して見えた幻影に感情を揺さぶられ続けるのだ。なんとなくこれを読んでくれた何処かにいる貴方や、私にとって大切なものが人の数だけあることに幸せな気持ちになった。

通院の帰り道、百貨店に立ち寄ってみた。グッチやシャネル、ティファニーなどの高級ショップが並んでいて、ショーウィンドウにはバックや靴、アクセサリーが陳列されていた。各ショップ前には決まってエスコートするかのように、スーツ姿で長身のモデルのような男性店員が立っていた。昔からブランド物にまったく興味がない私でも漂う気品に「すげーなおい、すげーな」という視線で彼らや商品たちを眺めていた。外に出ると街はライトアップされていて綺麗だった。寒かったけど。Googleで映画の情報を検索すると”重要なシーン”として一部がキャプチャされていて、誰にとってのだろうって少しおかしかった。

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