冷たい頬のままでおいでよ

夜をください、そうでなければ永遠に冷たい洗濯物をください

服部真里子 『遠くの敵や硝子を』

生まれて初めて歌集が一冊、本棚に並んだ。手に取った表紙の帯に上述の一首が印刷されていて、表紙をしばらく開けなくなった。

夜は以前まで眠りの予兆だった。眠れなくなったことで、夜に続くものは今日を過去に変えるものでも、やがて訪れる明日でもなくなった。必要なものは目蓋を閉じたことで四方八方に乱反射するまなざしの境界線だと知った。まなざしの先にあるものが空想のベールをかぶった妄想だと知りながら、それに身をゆだねつづけ、俯瞰するまでもなく、そうと知りながらそちらを振り返ってしまう。塩の柱に成らない代わりに午前3時、4時と時間だけが私を残してベットに沈んでいった。

日がな一日起き上がれなくなった日、夜に取り込む洗濯物はひどく冷たかった。取り込むときのゴワゴワとした手触りや、よそよそしさすら感じる冷たさがこの一首からよみがえった。なんの変哲もない洗濯物はその冷たさによって初めて私に立ち止まり顔を上げる。自分のものであることを強調するように。

永遠に冷えた洗濯物や、夜の時間が個人的な世界に引かれた一本の優しい線であってほしい。その一本の線を目印に眠りに落ちれるのなら、それを頼りに目蓋を閉じよう。

昨日は久しぶりにぐっすり眠れた夜だった。冷たい頬に手をあて、お湯を沸かしてコーヒーを淹れる。休職する前の日常の狭間にあった朝は、今はささやかながら灯りに見えた。知らない間に通り過ぎた日曜日の朝と、こうやって再会を果たしたという記録。

精神をすべて躑躅ツツジにうずめたら冷たい頬のままでおいでよ

服部真里子 『遠くの敵や硝子を』