眠りから覚めるために

夜、お風呂上がりにベランダの窓を開けて夜風に当たることが日課になった。窓を開けている間、月がちょうどよく見える時間帯を知った。きっかけは、先週お酒に飲まれに飲まれて酩酊しながら、虚ろな視線を夜空に向けつづけていたから。どれだけ欠けていても月は夜空の中でひときわ綺麗に見えた。

それからは、夜の決まった時間に涼みがてら照明を落として月を眺めるようになった。遠い場所に置いておきたい思考は、文字通り夜の闇に包まれて目に見えなくなった。いまはそれでもいい思った。

月を見上げて思い出したのはゴッホの星月夜だった。

名画には申し訳ないけれど、あの生命力にあふれる夜空の筆が少し苦手だ。空想してみる。肌を撫でる夜風の手触り、遠い町に灯る見知らぬ人たちの息遣い、頭上に広がる星や月の輝き、名残惜しい夜は、明日からの逃避とは違う意味を語るだろうか。

11/8は皆既月食があったそうで、Youtubeでもライブ映像が盛んに配信されていた。体が冷えた頃合いで窓とカーテンを閉める。部屋の空気は夜の余韻を残し続けていた。そのまま処方薬を飲んでベッドに潜り込んで目蓋をつぶる。皆既月食は見れなかったけれど、綺麗な満月のきらめきに魅入っていた。名残惜しい夜になった。

 

フィンセント・ファン・ゴッホ 『星月夜』