落ちた空

喪失のあとに誇らしく獲得を語る歌が嫌いで嫌いで仕方がなかった。かけがえのないと語る一方で、その関係性によっていかに自分が何を獲得したのか、かけがえがないとされるそれすら失ってもまだ獲得のほうが大事なのか私にはどうしても分からなかった。そんな歌も映画も私には理解できなかった。

昨日、映画を観た。The Last Full Measure.

実話を元にした映画だそうで、ベトナム戦争に従軍した一人のレスキュー隊員の話だった。彼はヘリから負傷兵を救出することが任務だった。けれど、ヘリで収容した兵士が衛生兵だとわかり、激戦地と化した戦場に衛生兵はもういなかったことを悟る。彼はヘリからロープを伝って戦場へと降りていく。敵に包囲され、退路を絶たれた戦場に降りていく姿は自殺行為に等しかった。けれど戦地で戦っていた兵士は彼の姿に涙が止まらない。天使が舞い降りたようだったと30年後のインタビューで老人は語る。彼は負傷兵に応急処置を行い、『国に帰るんだ』そう言いながら懸命に命をつないでいった。翌日5発の銃弾を受けは彼の亡骸が見つかる。30年が経った。当時あの戦場をともにした一人ひとりの証言をもとに彼に名誉勲章が授与されるまでの物語。

タイトルのThe Last Full Measureはどういう意味なんだろう。出自はリンカーンの演説からだそうで、『全身全霊をかけて』というイディオムだった。日本人が誤解なく理解できるように翻訳され、日本語にした途端に失われたような波紋が心に残った。

相変わらず、何が言いたいのか。

お付き合いしていた人とお別れをした。仕事は復職と共にマネジメントから退いた。今は休みをもらってワインのボトルを空けつづけ、寝ても覚めても眠りをもとめつづけている。いまの私の出力できる仕事のクオリティに対して会社の報酬が明らかに釣り合わなくなった。仕事を通じて実現したい自分がそこにいないことを知った。

土日は終日ベッドから起き上がれなくなった。恋人と関係を終える最後の時間、2人で食事に出かけた。別れのためだけに用意された時間にどんな気持ちで向き合えばいいのか私には分からなかった。

他愛のない会話で何をつなぎとめようとしているのか。虚ろにゆれる陽炎は、どの言葉にもゆらめきを落として手の届かない輪郭にかえてみせる。過ぎ去っていった時間や空間に灯っていた光はあるときは私を温め、いまはその灯りが遠い存在になったことを自覚させる。涙は涙袋に溜まるそうだ、それを決壊させないように。30代になって私は泣きたい時分に泣けない大人になった。

「クリスマスや誕生日には会えないから」そう言って綺麗に包装されたプレゼントを渡された。もう二度と会うことがないのにね、そう心をよぎったいくつもの光景が私の心は引き裂いていった。

電車のホームで別れの言葉を言いなれない私に「またね」と言いかけて「ばいばい」と彼は呟いた。その声が、顔が、頭の中でなんども私に別れを伝えている。ひとり、駅のホームでしゃがみ込む。

私は笑っていたかっただけだった。