病める時も、健やかなる時も

睡眠薬を飲んでも眠れない日がつづいている。目蓋を閉じることは「ありもしない日常」を夢想することだった。数年前、年末に両親の墓に花を添えるために帰省した。大晦日、ビジネスホテルの一室でひとり過ごした窓の向こうに見えた繁華街は、この世で最も遠い場所のように見えた。帰るべき場所や家なんて初めから無いことを、帰るべき場所が歌っていた。

幻想の中で思い描いた一つ一つの幸福が、まるで以前は未来にあったかのように、初めから手にしたことのないものを失ったということでしか、つながりを持つことができないでいる。絶望的な営みだとうわ言のように夜ごと頭をよぎる。

先日、おおよそ1年ぶりに友人の子供で4歳になる女の子と再会した。何かの拍子に「uninstはuninstだよ」と不思議そうに語り私を見つめていた。その声が風のように耳を撫でた。いまは眠ることが優しさになっている。優しさでしか新しい明日に出会うことができない。私は生まれ変わりたい。目が覚めたときの絶望を新たな明日で覆い隠してほしい。目が覚めないように。目を覚ますように。

海中を泳いでいる魚を古いとか、新しいとかいいますか?古いとか新しいとか騒ぐのは魚屋の魚のことです。それはもう死んでいるという意味です

坂崎乙郎 『絵画への視線』