「忘れてもいい」って言われた気がした

もちもーち。こちら地球星日本国シロ隊員。応答どーじょー。
この星はとっても平和です。どーじょー。
はいっ・・・はいっ、シロ隊員、全力で悪とたたかいます。
以上、交信終わり。どーじょー。

鉄コン筋クリート 1巻』 - 松本大洋

主人公のシロがどこにも繋がっていない公衆電話のなかで独りつぶやく場面。

「届かない」ということが届いてしまう景色は、どこか理解しようとすることを諦めてしまった2人が、永遠に交わることのない平行線の上に立っている姿を想像してしまう。松本大洋は「届かない」ということが届いてしまう奇跡を描いているように思えた。作中、たくさん散りばめられた届かなくてもいい言葉は忘れてもいい思い出の形をしていた。不思議とそんな場面たちが愛しくてなんども読み返していた。出会ったころが夏だったからか、夏のたびに忘れることを許してくれる記憶となって再会をくりかえしている。

まったく脈絡がないのだけど、暑すぎて死にそうである。

「ハイチーズ」って言ったはずなのに

風邪を引いてしまった。窓を開けて空気の入換えをしていると、窓の外から郵便配達の音や、小さな子供のはしゃぐ声が聞こえてきた。咳がひどく横になって目蓋を閉じる。やってこないと知っているものを待ちつづけるのはやっぱり難しい。

坂崎乙郎のエッセイでバレエの跳躍は高く跳ぶためではなく、より深く落ちるためだと読んだ。そのあとにつづく話を思い出せないまま、そのフレーズだけが胸に残りつづけている。跳躍が意志だとすると、落下は本能になるのか。もしそうなら、演者は意志と本能をたった1つの跳躍で使い分けて表現しているのかな。

手間をかけた料理を見るとそこには意志があって、意志には願いや祈りを思ったりした。それは人それぞれに信じ方や祈り方があるようで、名画や名曲と言われるものに注がれた息吹にある日の営みのなかで出会いつづけているように思えた。

夕暮れ時、西日が部屋の壁に影を作った。それが綺麗で誰に見せるでもなく写真を撮る。写真や絵画にある水平線の太陽は、夕日か、朝日か、鑑賞する場所や時間によって受け止め方が違うらしい。今年も両親のお墓参りには行けそうにない。うつろなときに思い出す情景は、いつもそんな類の景色だった。

「ハイチーズ」って言われて何故だか
愛してるって言われた気がした
「ハイチーズ」って言ったはずなのに
愛してるって言えた気がした

『エリザベス』 - MOROHA

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※2023.7.6 追記 とびまるさんの素敵な文章のなかで本記事を引用していただいた。
 ありがとうございました。

tobimaru-jdr.hatenablog.com

砕け散るところを見せてあげない

秋に満期退職になる。春が終わるころ、会社の同僚と再会した。所属は違って何度か一時的に接点をもった程度の関係だった。休職期間中は社会保険が振り込まれていて、同僚にとっては「私が働いたお金で生かされている」そうだった。相手は冗談だったし、私も社会人になって冗談みたい額を毎月納税してきた一人で、生計破綻を防ぐために設計された社会保険の一部は、厚生年金や所得税に名前を変えてまた納税している。だから、私は「私が働いたお金」とやらにお礼を言うつもりはなくて。冗談交じりに小突いてきた相手に、真顔で相手を黙らせてしまっただけだった。帰り際、居酒屋さんに誘った。伝えたい言葉も聞きたい言葉もなかったけれど、このトンチキの骨をもう一本ぐらい折ってやりたかった。映画や音楽の話をたくさん聞いたり話した。二人でお酒を飲んだのは初めてだったけれど、絶望的に趣味趣向が合わず、何を聞いて見て感じてるのかを聞くたびに笑い転げたり、転げられた。失礼なヤツだった。

日がな一日、机に向かって勉強ばかりしている日々だけれどそれはとても楽しい。ネガティブリストのコントール可不可の可能領域にスライドさせたものを辿るとどれも私に行きついた。それはブログに泣き言を書き綴っていた時期から、命がけで取り返したものだった。夢を見ることは楽しくて、虚しい。虚しさは夢と現状のギャップの深さだから、いまも勉強することをやめないでいられる。資格はグレード毎に客観的な習熟度の目安になったし、合否に関わらず理解が浅い部分を教えてくれる。資格を取ることが目的ではないので、合格に合わせて学ぶ領域を発展させることができた。

ときどき思う。終われなかった人たちの作品につよく共感する瞬間があって、例えば北野武のBROTHERやアウトレイジはキャラクターが立場や役割から外れて主体的に動きだした瞬間に破滅を呼ぶ。主体性の獲得は一般的にはキャラクターに跳躍を与えるのに、彼は破滅の引き金に使っていて、それは北野武が芸能の世界で主体性の獲得と同時に砕け散った大勢の仲間を見てきたからなのか、もしくはたったひとりの強烈な破滅を見たからなのか、彼は彼らと同じように終わる可能性があったのに終われなかった人なんじゃないか。破滅を描いて、自分自身が登場人物の一人になることで失ってきた仲間や、終わるはずだった自分と再会しようとしているとしたら、作中の自己犠牲や瓦礫に咲く花は、彼の過去にできなかった自己犠牲とか、与えてあげられなかった優しさ、彼の後悔を見せられているような気がしてくる。

終われなかった人、自分にひるがえすとその先は余生かというと、年齢を重ねるごとに学問もキャリア構築の「もう遅い」子守歌は、後悔も跳躍も遠ざけていくようで居心地が悪くなる。後悔して絶望して泣きわめいても終われなかったし、自分を信じられなくなっても、学ぶことだけは信じつづけた。知らない地平を見たい。自分の足でまた歩けるようになりたい。大切な人を守れる力が欲しい。北野武の作品なら破滅への引き金を引いたはずで、タイトルの通り。

「ただいま」とか「おかえり」を求めた日

長年使っていた茶碗を二つたてつづけに割ってしまった。一つは実家から持ってきたもので、もう一つは誰のためのものだったか。いずれ壊れてしまう「用」の物だからと数百円で新しいものに買いかえた。朝から天気がよく、春の水と陽気で洗ったスニーカーは見違えるほど真っ白になった。

心療内科のロビーで診察の順番を待っていると、嗚咽をもらして泣いている女性がいた。隣には母親らしき人が無言で彼女の背中をさすり、ときおりスピーカーから流れる抑揚のないアナウンスと、彼女の嗚咽が耳のなかで行き場がないと反響しつづけた。受診までのあいだ、真っ白になったスニーカーから視線を上げられなくなる。

病院からの帰り道、スマホで帰りの路線で起きた人身事故と運休を知った。病院から30分ほど歩くと港にでる。夕時、海と陸地を隔てた手すりの近くあるベンチに腰を下ろした。空も海も境界線でさえ青い景色と出会い、後ろについてきた影を手放すように遠い海を眺めた。

目を凝らすと空に白く薄い月が浮かんでいて、日没になると月も太陽に照らされ赤くなった。夕日の後ろにあるものを初めて体験として知った日だった。心持ちは遭難に近いのに今年に入って心を打つ作品との出会いが増えた。

まばらにいた人も日が落ちきって一人二人と港から去っていき、気づくとカメラで月を撮影している女性と私だけになっていた。私も真似をしてスマホで月を撮ってみる。肉眼で見えているそれよりも表情に乏しい、空の色も脚色されてしまい違う景色が手元に残った。

寒さで指先の感覚がなくなり腰を上げた。私の稚拙な腕で撮ったものと、瞳に残ったものが心に浮かびつづけた。運転を再開した電車に揺られ、車窓から街灯やマンションの窓からもれ出た灯りが後ろに後ろに流れていく。泣いたり、怒ったり、動作付きの感情が背中をさする手に出会えるのは奇跡のようで、電車は誰かが見た海に映る月を通りすぎ、海に映る月に飛び込まなければならなかった人も通りすぎて───

怒られない太陽

1月末から体調が悪化しなかなか好転しない。かかりつけの医院は担当医が退職してしまい、受診のたびに違う医師との問診になった。やり取りはほとんど定形化されていて、同じ話を違う医師の顔に同じ答えで語りつづけた。

部屋の窓から景色を見つめる時間が増えた。冷え切った部屋のなかでソファーに横になり外を見つめていると、体から少しずつ血液が失われていくような感覚になった。

読んでいた小説に「あなたの幸せを祈っています」という台詞がたびたび登場した。なんとなくその言葉だけが目の前に浮かぶ時間ができた。

ここ数日、陽だまりが部屋にできるようになった。天気予報を見るかぎり、しばらくはこの気候がつづきそうだった。新しい春がやってくる。怖くてしかたがなかった。通院のために駅を降りると、往来のなかで季節の変化や知らない人たちの動く時間を感じた。とどまりたくないとたぐり寄せたものすべてが、そこから私を動けなくさせていった。

そばにあるのは秒針が止まった思い出だけだった。部屋の窓から温かな日が差し込み、流れる雲や、空を飛ぶ鳥が視界を通り過ぎていく。自分が変わらなければ目に見えるものも変わらない。失ったものしか大切にできるものがなかった。変化や守るための力は自分を失うたびに姿を見失っていった。

窓から見える夕日は森に沈んでいく。海に沈む夕日を長いあいだ見ていなかった。海に溶けて燃え尽きるような夕日が見たくなった。日没の時間を調べると海岸につく頃には夜になる。身支度も忘れて部屋着にパーカーとコートを羽織ってマンションを出た。川に沿って茜色の空をあおいだ。夜に近づくほど、冬と春のあいだを流れる風が体を通りすぎていく。対岸へわたる橋の上で日没の時間を迎え、目の前の光景が私を射貫いた。

ただただ、見とれていた。夕日に向かって何か語るとしたら、ばかやろーなのだろうか。部屋から外にでれた動機は夕日ひとつだった。そのひとつで胸がいっぱいになった。

とってもきれいだった。

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忘れさせて、忘れないで

金曜日、雪が降った。天気予報はみぞれを伝えていたけれど、朝、外に広がっていた光景は幻想的だった。しばらく忙しくしていた友人から連絡があり、久しぶりにお酒を飲んだ。彼女は医療機関に携わっていて、長期間にわたって担当していた患者さんが先日、亡くなったのだと語った。生前、彼女と接するたび、孫を気づかうように心を寄せてくれたのだそうだ。

訃報を知り、故人との記憶が彼女の胸につもっていった。斎場へ赴き、冷たくなった額に触れ見送ったのだという。数日して、彼女は上司から無断で弔問に赴いたことについて叱責をうけた。ご遺族がこれまでの看護のお礼を述べに病院へ連絡してくれたことで、上司の耳に入ってしまったのだと言った。「何かあったときに責任が取れない。」あの日、別れを惜しんだ同じ胸に冷たいものが落ちていった。

そのまま受け止めるのなら無断の弔問が問題ではなさそうで、面子や慣習の話なのだとしたらと、なんとなくつづく言葉を想像し痛みをおぼえた。どこを向いて仕事をしているのか、分からなくなった。と自分の胸に言葉を落とした。 

私が社会人になって間もないころ、故障したハードディスクのデータサルベージ中に、私のミスで復旧不可能な状態にしてしまったことがあった。クライアントは個人のお客様で、社内のエキスパート部隊が数か月がかりで復旧を試みたけれど、データを抽出することは叶わなかった。上司が事実説明と謝罪にご自宅へ訪問した折り、中のデータがどういったものだったのかを教えていただいたと聞いた。そこには亡くなったお子さんの写真や動画がたくさん保存されていたのだった。なぜ一個人が数十万円もする金額を支払ってまで破損したデータを復旧させようとしたのか、そこで初めて想像に至った。

上司と二人だけの会議室で、なぜミスが起きたのか、どうすれば防げたのかを掘り下げつづけた。一番に謝罪すべき顧客へのコンタクトは許されなかった。誰のための謝罪だったのか、あとになって自分が楽になりたかっただけのように思えた。

ホワイトボードに原因と対策が埋まったころ、テレビで観たというドキュメンタリー番組の話になった。ある国から家族で亡命してきた一家と、大使館職員の話だった。大使館職員は一家の亡命を果たそうと奔走するけれど、一組織が国家間の法律を覆すことは不可能で、努力や願いは報われないまま一家の亡命は叶わなかった。危険を犯して逃げてきた国に送還されれば、どんな結末になるのか関係者の誰もが理解していた。一家は自分たちの未来を知りながら、職員に礼を述べて去っていった。一家が送還されたあとも、職員は何か他にできたことがあったんじゃないのか、自問自答の日々を送っている。という話だった。

「俺たちにも何か他にできることがあったんじゃないか。」上司のうつむいた視線と沈黙が二度と戻らないものに姿を与えて胸を埋め尽くしていった。

数年経って私は予算管理を担う部署で元上司と同じ役職に就いていた。感情で仕事をするな。と言ったのは新しい上司で、目指すべき誠実さの形は次第にかわっていった。元上司とは対立することが増えた。誰かのために、というテーマは、尊さと同じ分だけ、自分の幸せを他人に委ねる危うさに思えた。あのとき背負った十字架は、環境と順応を言い訳に風化させ忘れてしまっていた。

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いまは責任からも人からも逃げてしまった。あのとき、忘れるなと言われ、忘れないと誓い、忘れていたものを、仕事から離れたいまになって夢にうなされる夜に出会った。

彼女の割り切れない葛藤を想像し、数字やロジックで掬い上げられないものをテーブルに乗せることができるのは人だけだったと思う一方で、そんな風に歩んでこなかった私には遠すぎる言葉に思えた。

何か他にしてあげたかったことはあった?たくさんあったと語る瞳には人が揺れていて、かつて私が沈黙した問いは、彼女から一つひとつ誰かのためにを連想させた。

flavor of shadows

土曜日、終電を逃してしまい歩いて帰ることにした。初めて通る道ばかりで、どの道を歩いても人通りがなく、ずっと遠くの方まで見渡せるような透明感があった。

1時間ほど歩いてコンビニに立ち寄り、温かいコーヒーを手に外で休憩する。コーヒーを飲み込んだ吐息は、駐車場に射すコンビニの蛍光灯がぼんやりと白く揺らしてみせた。両耳は外気を受けてジンジンと痛み、左手の薬指の爪は割れてしまった。

アスファルトに映る自分の影を見つめていた。形をもった光が影だとすると、西洋のお化けに影がないのは、あるがままそこにある光源や実体が、どちらか一方を失うだけで影も形も失くしてしまうからなのか、実体が心の有様だとしたら身に覚えがあった。

相変わらず、目が覚めて16時間かけて眠る準備を始めるような日もあるので、影が薄くなるという慣用句から連想するものと結局同じものを見ているような気がする。帰宅したのは深夜3時を過ぎていて、寝支度を整えて冷たいベットにもぐりこんだ。ときどき、一緒に過ごした人たちのことを思い出す。指先は冷たくて、手をつないでほしいのは決まってもう会えないときだったりする。

・まっくらだからあかるいね
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