忘れさせて、忘れないで

金曜日、雪が降った。天気予報はみぞれを伝えていたけれど、朝、外に広がっていた光景は幻想的だった。しばらく忙しくしていた友人から連絡があり、久しぶりにお酒を飲んだ。彼女は医療機関に携わっていて、長期間にわたって担当していた患者さんが先日、亡くなったのだと語った。生前、彼女と接するたび、孫を気づかうように心を寄せてくれたのだそうだ。

訃報を知り、故人との記憶が彼女の胸につもっていった。斎場へ赴き、冷たくなった額に触れ見送ったのだという。数日して、彼女は上司から無断で弔問に赴いたことについて叱責をうけた。ご遺族がこれまでの看護のお礼を述べに病院へ連絡してくれたことで、上司の耳に入ってしまったのだと言った。「何かあったときに責任が取れない。」あの日、別れを惜しんだ同じ胸に冷たいものが落ちていった。

そのまま受け止めるのなら無断の弔問が問題ではなさそうで、面子や慣習の話なのだとしたらと、なんとなくつづく言葉を想像し痛みをおぼえた。どこを向いて仕事をしているのか、分からなくなった。と自分の胸に言葉を落とした。 

私が社会人になって間もないころ、故障したハードディスクのデータサルベージ中に、私のミスで復旧不可能な状態にしてしまったことがあった。クライアントは個人のお客様で、社内のエキスパート部隊が数か月がかりで復旧を試みたけれど、データを抽出することは叶わなかった。上司が事実説明と謝罪にご自宅へ訪問した折り、中のデータがどういったものだったのかを教えていただいたと聞いた。そこには亡くなったお子さんの写真や動画がたくさん保存されていたのだった。なぜ一個人が数十万円もする金額を支払ってまで破損したデータを復旧させようとしたのか、そこで初めて想像に至った。

上司と二人だけの会議室で、なぜミスが起きたのか、どうすれば防げたのかを掘り下げつづけた。一番に謝罪すべき顧客へのコンタクトは許されなかった。誰のための謝罪だったのか、あとになって自分が楽になりたかっただけのように思えた。

ホワイトボードに原因と対策が埋まったころ、テレビで観たというドキュメンタリー番組の話になった。ある国から家族で亡命してきた一家と、大使館職員の話だった。大使館職員は一家の亡命を果たそうと奔走するけれど、一組織が国家間の法律を覆すことは不可能で、努力や願いは報われないまま一家の亡命は叶わなかった。危険を犯して逃げてきた国に送還されれば、どんな結末になるのか関係者の誰もが理解していた。一家は自分たちの未来を知りながら、職員に礼を述べて去っていった。一家が送還されたあとも、職員は何か他にできたことがあったんじゃないのか、自問自答の日々を送っている。という話だった。

「俺たちにも何か他にできることがあったんじゃないか。」上司のうつむいた視線と沈黙が二度と戻らないものに姿を与えて胸を埋め尽くしていった。

数年経って私は予算管理を担う部署で元上司と同じ役職に就いていた。感情で仕事をするな。と言ったのは新しい上司で、目指すべき誠実さの形は次第にかわっていった。元上司とは対立することが増えた。誰かのために、というテーマは、尊さと同じ分だけ、自分の幸せを他人に委ねる危うさに思えた。あのとき背負った十字架は、環境と順応を言い訳に風化させ忘れてしまっていた。

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いまは責任からも人からも逃げてしまった。あのとき、忘れるなと言われ、忘れないと誓い、忘れていたものを、仕事から離れたいまになって夢にうなされる夜に出会った。

彼女の割り切れない葛藤を想像し、数字やロジックで掬い上げられないものをテーブルに乗せることができるのは人だけだったと思う一方で、そんな風に歩んでこなかった私には遠すぎる言葉に思えた。

何か他にしてあげたかったことはあった?たくさんあったと語る瞳には人が揺れていて、かつて私が沈黙した問いは、彼女から一つひとつ誰かのためにを連想させた。