あの星空は遠く

先日、久しぶりに二日酔いになるほどお店でお酒を飲んだ。
もともと強い方ではないのだけど、ビールが喉に心地よくて、どんどんグラスを開けてしまった。なんとなく飲み足りなくて自宅への帰り道にコンビニで梨の缶酎ハイを一本買って帰ることにした。お酒を飲むと、日ごろ胸に閉まっていた感情や言葉たちがとめどなく流れでて、それに身を委ねるのがなんだかとても心地がいい。
 
今は精神的に疲弊していて、心療内科睡眠薬を貰わないと眠ることもできなくて、抗不安剤で認知感度を鈍らせて、食事や掃除、働く意欲とか毎日生きていくうえでの営み自体がままならなくなっている。今まで生きてきた中で、いろんなものが私を通り過ぎていったように思う。ある時は分かっていながら、ある時は気づかない間に。どれも取り返しのつかないものばかりだったと錯覚させるのは、それらが今の私は形成していて、この人格は獲得よりも喪失でできあがっているんじゃないかと思うことがあるから。
 
最近読んだ本で吉田修一の「悪人」にこんな描写があって、心を打った。
灯台は断崖の下に広がる海を見下ろしていた。
鎖の張られた手すりの向こうには道はなく、真下から激しい波音が聞こえる。眼前の風景を眺めていると、ここが行き止まりというよりも、この先、どこへでも行ける気がした。
 
吉田修一 『悪人』
この世とあの世の境界線は20代の頃よりも圧倒的に身近にあって、今はたまたま衝動的にその境界線を踏み越えなかっただけ。「死を想え」という言葉があるけれど、本来の解釈とはずいぶん遠いところで、身近に感じていたりする。私にも幸せな記憶はある。幼いころに受けた暖かい眼差しや、胸に抱かれた温もりは幸せの絶頂だったと記憶を振り返ってしみじみ感じている。小さな幸せを積み重ねていきたい。それはいったい何でできているのだろう。
 
飲み過ぎたせいでしゃっくりが止まらなくて、水をたくさん飲んでベッドに倒れこんだ。目蓋を瞑ると久しぶりに睡眠薬をのまずに眠ることができた。